意味と目的は違うのである。

人生の意味を考えたことがある。

 

人はなぜ生きるのか?生きることにどんな意味があるのか?

なーんて考えても、答えは見つからなかった。

意味がない人生なんて、必要じゃないと考えた時期もあったが、だからといって「生きない」ことを選択することは出来なかった。

だから、意味のない人生を生きるしかないのかと絶望した。

 

しかし。だ。

意味はなくても目的はあるんじゃないか?

 

生きる意味はわからない。でも、生きる目的ならある。

私の場合は、「親より先に死なない」ことが生きている目的である。

理由は簡単で、それ以外に親孝行らしいことができないからだ。

私が産まれたた時、父も母もこの子が元気に育ってくれれば、それだけでいい。と思っただろうから(確かめたことはないけど)、生きていればそれだけで親孝行だと思う。

産まれた時にはそう思ったけど、それだけじゃないとか言い出す親もいるのかもしれないが(そして、うちの親はそうではないと確信があるわけではないが)、そんなのは親の勝手なので無視だムシ。

欲を言えば、結婚とか孫の顔とか、老後の面倒とか、もう少し裕福であれば旅行とか、そういう親孝行の方法もあると思うが、それは主に私の性格により無理だと判断した。

だから、とりあえず死ぬ順番だけは守ろうと思っている。

 

だがしかし、今の世の中、意味のないものというのは肩身が狭い。

効率とか生産性とか建設的とか進化とか、そういう言葉がそこらじゅうに溢れていて、それに該当しないものは、くだらなくて無意味で必要のないものだと位置づけられる。

そういう時世に浸っていると、自分の人生がまったくくだらなくて無意味で必要のないものに思えてくるものだ。

それが辛くて、できることなら解脱したいと思った。

ちなみに解脱は仏教用語だが、私は仏教徒ではありません。

 

でも、解脱することだって意味があることではない。というか、そもそも意味のある生というのはどういうものだ?

「意味」という言葉を辞書(三省堂国語辞典第七版)で引くと

  • ことば、記号などがあらわす内容
  • ことば、おこない、できごとなどについてその中にふくまれる なかみ、わけ
  • ねうち
  • かくれた内容をあらわすこと

などがある。

では「意味のある人生」とはどういうものか、上記をあてはめて考えてみよう。

…………………………よくわからない。

分かる人いる?いたら私に分かるように教えて欲しい。

なんとなく分かるとしたら、「ねうちのある人生」ってことくらいでしょうか。

値打ちのある人生ってなんだよ。値打ちがなきゃ、人生じゃないのか?と喧嘩を売りたくなるような文章になる。

 

では、目的のある人生とは?

「目的」を辞書(同上)で引くと

  • 何かをするときの めあて、めざすところ

とある。

つまり「何かを目当てにしたり、何かをめざす人生」という訳だ。ここに書かれている何かはなんでもいい。

モテるでもいいし、可愛くなるでもいい。賢くなるとか、人の役に立つとかでもいいし、逆にバカになりたいでもいい。とてもわかり易いし、優しい。

 

私には目的がある。先にも書いたように死ぬ順番を守るということもそうだけど、自分が死ぬ瞬間に「それなりに面白かったな」と思えるようにしたい、という目的が。

 

私の人生には意味はないかもしれないが、目的はある。

 

逆説的だけど、目的のある人生なら、生きる意味があるのかもしれない…。まあ、なくてもいいんだけど。(どっち)